2009年11月17日火曜日

私とサイクリング(Mr. Cycle 86)

CycleSportsBlogへの訪問有難うございます。

今日は Mr. Cycle 86 さんのブログの中から 私とサイクリング のところを原文にてご紹介します。彼は自転車仲間でもあり人生の大先輩です。


私のように、このように振り返ることは遠い日々の向こうにあると思います。全く深みのかけらもありませんが、毎日毎日、ひと漕ぎひと漕ぎを大切にして楽しんでサイクリングしたいと思います。


素晴らしい大先輩のお言葉に大感謝です。




『私とサイクリング』


『私とサイクリング』は、すでに別の形で公にしている文です。サイクリングを始めたきっかけを知って頂くにはこれが一番だ。という思いから掲載することにしました。人生の厳しい局面にある人たちに、その克服のヒントになれば。いささかなりとも励ましになれば。との思いもあります。かなり長い文ですが、読んでいただければ幸いです。


出会い


平成13年3月、ふとしたことから年甲斐もなくマウンテンバイクの三時間耐久選手権に出場した。不安いっぱい。松の香漂う林へ自転車を乗り入れた。不安は、しかし、一瞬だった。上りあり下りあり、凸凹あり、切り株あり、何でもありの松林の中を、息子と変わらぬ年頃の若者たちに交じって走り、心は中学・高校時代にタイムスリップしていた。
本格的なサイクリングとの出会いは、福岡高校に勤務した頃に始まった。子供を保育園に預ける都合上、定時制勤務を希望したが、三十代半ばに子供を授かった私は、この機に少しでも若い父親の姿を、子供の記憶に焼き付けたいと思った。継続の精神を体で覚えさせたい気持ちもあった。徐々にサイクリングの距離を伸ばし、平成5年、子供が小学四年の夏、九州一周の旅を敢行した。
この年の夏、鹿児島を中心に九州各地は記録的な豪雨に見舞われ、大きな被害を被った。その豪雨が最も猛威を振るう最中、10泊11日、全行程約千百キロの自転車旅行に出発した。連日濡れ鼠となって走り、時には命の危険さえ感じた。土砂降りの雨の中『一度始めたら最後までやらないかんて、お父さんが言うたやない。』と、転倒し血を流しながらも走る我が子の姿を見ながら、抱きしめてやりたいような気持ちをどうにも抑えきれなかった。前夜やり過ごした台風の吹き戻しの中、無事わが家の門前に自転車を降り立った時、込み上げてくるような心の震えを覚えたものだ。
鹿児島の、墨を流したようなどす黒い空から襲いかかってきた大粒の雨。夏の北海道で耳にしたウグイスのさえずり、菜の花の黄色い輝き。カナディアンロッキーの氷河を戴いた雄大な山並みと野生動物。まる一日延々と続いた上り坂、下り坂。
今も、すべてが脳裏にある。これらの旅の体験が、子供の生きる原動力となることを願っている。
皆さんもサイクリング如何ですか? 素晴らしい感動に出会えますよ。


趣味と人生


子供との関わりの中で始めた自転車だったが、やがて掛け替えのない私の趣味になる。
一時期、仕事上の重圧から自分を見失い、全く仕事が手に付かない状況に陥った。何事にも消極的、自分を責めるばかり。一年を棒に振り、退職さえ考えた。そんな自分を救ってくれたのが自転車だった。
ゼロからの再出発。第一歩が自転車だった。体調に不安があるからと一緒に走った広島〜福岡2泊3日の旅が、目下のところ息子との最後の自転車旅行になっている。この旅を契機に、徐々に仕事のペースも取り戻した。当時、自転車は体力回復の手段であり、気晴らしに過ぎなかった。精々月に何度か走る程度。休日の多くは、テレビを見ながらごろ寝を決め込む日々であった。しかし、風を切って緑の中を走る爽快さと、時には車を追い越しながら下り坂を疾走する快感に、いつの間にか自転車は生活の中心を占めるに至った。仲間と走り回るうちに、お荷物になりたくない。若い連中に負けたくない。と負けず嫌いな性格が目覚めてきた。
全てが仕事優先。そんな毎日は徐々に変貌。休日は絶対に『私』。よほどの事情がない限り、自分の趣味・楽しみに充てた。脚力アップを目指し、近くにある油山をトレーニングの場にした。2㎞余の坂を上りきるまでに半年かかった。
汗を滴らせ息を切らしながら、ひたすらペダルを踏み続ける。道端で休んでいる登山者と目があったら力が抜ける。だから坂の上を睨んで踏み込む。『あと一漕ぎ』『もう一漕ぎ』その繰り返し。坂と格闘しながら、ふと人生を感じる。『あと一歩』『もう一歩』その先には青空と、爽やかな風、素晴らしい眺めがある。肩の力がスッと抜けた。


ラーナーズハイ


もっと速く走りたい。もっと楽に坂を上りたい。もっと自転車を楽しみたい。その思いが生活を変えた。朝寝、朝酒、テレビの休日は、早起き、自転車、料理の休日に変身。6時前に起床すると、食事もそこそこに自転車の上の人。100㎞前後を走り、気持ちが向けば夕食の総菜作り。往復35㎞超の通勤も、自転車で通うことがよくあった。仕事に対しても、それまで以上に工夫し、気力を充実させて臨んだ。挙げ句の果て、六十路に入る去年、平成20年、これまで逃げてきた長距離走に挑戦を決意。シティーマラソン福岡でハーフ初挑戦。初完走を達成した。体力的には青年・壮年気分である。
私は、人間は特に壮年期も半ばを過ぎると、変わり様がないと思っていた。しかし仕事を含め、生活の全てを心から楽しいと感じる最近、人間は常に変わり得る。変わる可能性を秘めていると考える。それを可能にするもの、その原動力となるもの、それが夢であり目標だと思う。
マラソンに挑戦を始めて、ランナーズハイ(runner's high)と言われるものを知った。長距離走で、苦しさと戦いながら走っていると、苦しいのやら楽なのやら判然としない、不思議な感覚を味わう時がある。何時でもやめられるし、逆に何時までも走り続けていられるような感覚。このまま死ぬかもしれない。死んでもいい。ふとそんな気持ちになる。これがランナーズハイであるらしい。
受験勉強の追い込み期、夕方遅くまで、寒い教室でひたすら勉強する生徒たちの姿を見ていて思った。彼らは苦しんでいるのだろうかと。
『否』である。快感とは言わないまでも、喜びを感じていたに違いないと私は思う。自分の夢・目標が達成される日を信じながら。合格の栄冠を手にする日を信じながら。そして、そのように挑戦している自らに誇りを感じながら。
何か問題にぶつかり、創意工夫によってそれを乗り越える時、脳内にはドーパミンという物質が分泌され、快感を覚えるという。ならば、夢を持ち、目標を持ち、希望を持って物事に取り組む時、人は人生を楽しむことができるのではないか。人生という課題と取り組み学ぶ者として、ラーナーズハイ(learner's high)を体験できるのではないか。そんな生き方を目指したいと思う。


↓Mr. Cycle 86さんのブログはこちらです↓
http://ycycle86.blog.shinobi.jp/

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