先日ご紹介した桧原桜と中之島公園だそうだ。
皆さん勢ぞろいで楽しそうですね~
また、ご一緒しましょうね。
先日の紹介文です・・・・この桜は大変貴重なゆかりのあるものと知りました。
【参考資料、引用、福岡散歩道HPより・・・】
この『花守りパーク』の桜は、樹齢70年。『檜原桜』の愛称で親しまれています。蓮根池にそって長住と檜原をつなぐ道は、昭和50年代まで、くねくね曲がって、車の離合も困難な狭い農道(今の桜の下の道)でした。道路の拡張が南北から進められて、昭和59年3月10日(土)の朝、枝一杯に蕾をつけたままで、1本の桜が伐られました。 残りの桜もはかない定めです。翌朝暁、桜の幹に命乞いの色紙がかけられていました。花守り 進藤市長殿・花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を 許し給え(二旬 20日 ついの開花 最後の開花)次の日も、次の日も、桜は伐られません。伐採を請け負った業者さんの優しい執行猶予だったのでしょう。そして、ジョギングで色紙を発見した暁の紳士の共感が、 地元新聞に伝えられて『短歌に託し命乞い』の記事となり、花を惜しむ歌や句が、 次々に檜原桜にかけれれました。・今年のみの 桜いとしみ 朝ごとに つぼみふくらむ 池の辺(へ)に佇つ・春は花 夏は葉桜 幾年を なぐさめられし 並木道かな・うたにたくし 花のいのちを こう人の なさけ拡ごる 春はかなしも・眼底に(まなぞこ) さくらをやどす ランドセル詠みびと知らずが枝につるした、数十種の色紙や短冊が春風にゆれるさまは、 さながら王朝時代の観桜の宴の風情でした。そのなかに、・桜花(はな)惜しむ 大和心の うるわしや とわに匂わん 花の心はの一首があって、当時の筑前の花守り、進藤一馬福岡市長の返歌と知れました。こうして、檜原桜は『終の開花』を許されたのです。このことを郷土出身の作曲家團伊玖磨氏が、名随筆『パイプのけむり』にとりあげられ、 『リーダーズ・ダイジェスト』に転載されて海外の話題にもなりました。花吹雪が散って 薫風のころ、桜の枝に・葉桜の そよぐ梢の 風涼し 花守り市長の 情け通じての一首がありました。情理あふれた市の配意で道路が桜を生かす計画に変更されて、永久の開花がかなえられたのです。
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